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“そう、自分は”Artistに対してお金を払う”以外に全く価値がない(断言)。Stageに向かってFloorで「Artistさんを応援する」とか「会いたいから」とはしてても、間にあるのは結局のところお金、そしてメンバーのお金を払ったヒトへの社交辞令の挨拶。なんて自分は無力。orz”
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“正直、こんな話 http://t.co/UsT7D1cU を書いてハッシュタグに乗せていると「古参ぶるな」とか「懐古厨乙」とか思われちゃうのだろうね…出逢いの馴れ初めとか今までの経緯とかヒトそれぞれなんだから、しょうがないぢゃないかって心底思う。排他的なファンが一番痛々しい。”
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“けったいな動画を幾つかYouTubeで見かけていたけど、他のバンドを観に行ったら偶然にも対バンだった。 #アーバンギャルドを好きになったきっかけ 小さな物販で眼鏡をかけた背広のヒトがニコニコしてて「貴殿の様な方がスタッフで物販を支えていたら安泰ですね」と話してたら、それがVJとしてStageに現れた 藤井さんで終演後に速攻謝りに行った記憶が(苦笑…土下座)。当時はまだStagingを模索していたのかウサギの被り物を松永天馬先生が着てて、ウサギ耳をつけた浜崎容子さまが歌ってたりしてた。瀬々さん大人気でMuMuさまとアンコールでSessionしてたりしてた。テクノポップを前面に出してるのに、谷地村さんや瀬々さんの演奏がフイジカルでテクニカルな事に脱帽。藤井さんの連携も呼吸がピッタリで「新しい音楽ユニットの形態」と心酔して”修正主義者”を購入し、メンバーの皆さまからサインをいただいて帰ったのがイイ思い出。”
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“「深呼吸する惑星」-第三舞台 封印解除&解散公演 http://www.daisanbutai.com/schedule.html 30年かけて「舞台俳優(舞台の可能性)の認知」は拡がるも、舞台以上にTVや映画に出演する俳優、書籍やワークショップで作劇術や演出ノウハウを切り売りする演出家により、本業の”劇団”が立ち行かなくなった典型例だと思う…演劇に”メジャーデビュー”の概念がない以上これは仕方ないけど、他のメディアであるTVや映画、海の向こうのブロードウェイを目指し、同時代的なMovementを追い続けた”先進性”は、結局のところ新たなる”先進性”に対応しきれなくなって”かつての先進性=この劇団のパーソナリティ(Classicシリーズとか戯曲を売るなど)”となった時点で、その劇団の云わんとしている思想信条は90年代後期には瓦解していたと思う。流行や人気でなく、いつまでも”作品”として残る為には、永遠不変の”普遍性”こそが、演劇にも音楽にも必要なのかも知れないし、共通するところだと思う。財布がショボくなった2010年代には、更にそれが求められると思うし、評価を受けていると思います。”
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“ぶっちゃけ”Artが行われている生の現場”に赴かねば、本当のリアルな体験は得られないと思うし、それが過ぎ去ってしまったものであったとしても追いかけ続ける”行動”が伴わないと、作り手も受け手も共倒れになるぞ…と。”
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“演劇なら”劇場まで赴いて舞台を観る「共時的概念」の共有”を以て語り得る言葉を獲得するし、遺された戯曲により”解析”される愉しみもあるのだけど、舞台そのものはその場限りで残らない。記録された媒体でも舞台での臨場感は得られない。他の音楽や映像などのメディアにしてもCDやDVDなどのデータの不滅が保証されない時点で”消える媒体”になってしまう(光ディスク自体の磨滅にしても勿論、リリースするレコード会社や事務所の決定、個人にしても”諸般の事情”などなど)事を考慮しても、大量のソフトが出ては消えていく。本当に残る(遺される)MasterPieceが求められる時代であるべきなのに、クリエイターであるべき作り手がListnerに阿っている段階で、何年残るか分からないものしか生産されず、本当にイイものが埋もれていく時代。これは悲しむべき事態であると危惧すべきかと。”
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“かなり左脚に無理をしているけど負けてられない…痛み止め飲んで保たせてます。かつて蓋叫天なる京劇役者はトラブルで演目中で殺陣の後に着地に失敗し右脚を開放骨折するも「英雄は倒れてはならない」と左脚だけで舞台に立ち続けた逸話があり、その気概を自分は忘れない。負けない矜持を忘れない。
蓋叫天の後のエピソード。スタッフが舞台上の彼の異変に気づき慌てて幕を降ろし医者に運ぶも手違いで逆方向に脚の骨を継いでしまった。このままでは芸が出来ないと(かつて蓋には左腕骨折でブランクの時期があった)蓋叫天はその場で自ら右脚を打ち砕き、再度別の医者に頼み、脚を継ぎ直した。
2年間のリハビリは蓋のこれまでの舞台俳優としての身体能力を0にまで落としてしまった…筋力や感覚も衰えた。47歳の老齢の京劇俳優は0からリハビリを行い、49歳に再び同じ演目を舞台で完璧に演じ切って喝采を浴びた。日中戦争前夜の出来事。そして戦後も後進の指導にもあたった。
「学老到(人間、死ぬまで勉強)」が蓋叫天の座右の銘。自分も斯くありたいと思うし難局にあろうと立ち向かいたい。戦中の彼の「(疎開しても)双鞭は忘れるな、鍛練を怠るな。流浪しても芸で身は立てられる」は印象的。参考資料:京劇「政治の国」の俳優群像/加藤徹 @katotoru1963 http://www.geocities.jp/cato1963/ 著”